海の印象 情婦 『プレイボーイ』のために私はいかにして写真を撮ったか
魔術師の妻の恋人 雪上の足跡 囚人入門 アニマルララバイ 驟雨
連続する地震に怯える都市で 我々のもっとも貧しい県区で 遠い山 二月 独裁 ネギ
太魯閣(タロコ)•一九八九 家庭の旅 壁 春 影の河川 魔術師 メシアンへの葉書 島の辺縁
小宇宙:現代俳句集 一茶 花蓮港街.一九三九 小都市 家具の音楽 フォルモサ•一六六一
後記/言葉の間を旅する
蜂飼耳/花蓮がひらく詩の扉
『華麗島の辺縁 陳黎詩集』 をめぐって
(
『現代詩手帖 』 2010年 6月号書評)
『華麗島の辺縁』:蜂飼耳 NHK BS2「週刊ブックレビュー」
陳黎:台湾東海岸の小都市花蓮で一九五四年に生まれる。一九七六年に台湾師範大学英語系を卒業し、故郷の花蓮に戻り中学教師となる。近年は国立東華大学の創作コースなどで教え、花蓮で毎年行われるようになった太平洋詩歌祭の運営責任者でもある。七十年代よりモダニズムに影響を受けて創作を始め、八十年代には社会的政治的なテーマが濃厚な作品が多い。九十年代からは主題もスタイルも多様化して、本土文化への関心とともに言語、様式の実験的な作品による新しい台湾意識の創出を試みている。これまで『アニマルララバイ』
(1980)、『暴雨』
(1990)、『家庭の旅』(1993)、『島の辺縁』(1995)、『鏡の猫』
(1999)、『苦悩と自由の平均律』(2005)、
『小宇宙―現代俳句200首』
(2006)など十冊以上の詩集を出版している。いわゆる西洋からの「横の移植」を主張した紀弦(1913-)などの世代と比べると、陳黎の世代では西洋や東洋(日本)の両方の詩から学び、更に中国詩の遺産を活かして台湾文化の再定義を行っている。また散文家、翻訳者としても知られ多くの著書がある。妻、張芬齡との共訳でプラス、ヒーニー、ネルーダ、パス、サックス、シンボルスカなどの詩を中国語に訳し『ラテンアメリカ現代詩選』(1989)
、『世界情詩名作100首』(2000)
など十五冊以上の訳書がある。
*
「陳黎は中国語で書いている最も革新的でエキサイティングな詩人の一人である。非常にリリカルなものから社会風刺の効いたものまで、彼の作品は一方で現代台湾で起こっている歴史的変化を伝えながら、同時に熱情的な実験精神を表している。陳黎の詩は台湾の文化的アイデンティティへのほろにがい探求の過程を集約するだけでなく、個人的、政治的、芸術的前衛主義、良心の文学をすべて適切に合体させていることを雄弁に実証している。」
――ミッシェル・イエ(奚密)
カリフォルニア大学デイヴィス校教授
見えない大きなベッドにからみつき
浮気な女は一日中
流れ者の男と
ライトブルーに白いラインの入った大きなシーツを
あちらに
ゆらり
こちらに
ゆらり
俺の情婦はスラックキーギター
ケースに入れられたなめらかなボディ
月の光もとどかない
ときどき、彼女を取り出し
抱きしめてそっと
冷たい首すじを撫でてみる
左手でおさえながら、右手で音を出す
いろんなチューニングをためす
すると彼女はピンと張りつめた本物の
六弦楽器になり、一触即発の
緊張した容姿となる
ただ演奏をはじめると
突然
弦が切れる
『プレイボーイ』のために私
はいかにして写真を撮ったか
1
鏡のように明るい月だった。驚くべき照魔鏡は眠りのなかにいる暗黒をすべてきらきらと照らしていた。私の目の中のガラス玉はふたつの望遠レンズのようにぐるぐると回転し、あらゆる密やかな部分に射し込んいった。どんどんのびていく。月はマグネシウムのフラッシュ。私の頭はぐるぐると絶え間なく回るフィルム。私はプレイボーイのために高く高く、朝のものぐさ、けだるい午後、夜の汚濁を写真に撮る。
2
サイゴンのバラからまだつぼみの閉じたヒナギクまで、私達のプレーボーイたちがどのように深夜に催涙ガス銃で罪深き花びらに栄養ゆたかな尿を発射したか。おれは目撃した。手作りの洋酒をのんだ後、彼らが躊躇なくその勇気と正義、積極性と寛容さをいかに示したか。あゝ彼らがその責任を負っていた貧困撲滅計画をどのように支えたことだろう。お金ならいっぱいあると笑いながら。
若い欲求が小さなホテルの前でふんばっている、まるで吸い寄せられた砂鉄が磁性のついた臀部に到着したことを報告しているみたいにだ。ここにどれだけのカーテンがあったことだろう。しかもうすい壁板一枚で区切られただけのものだ。写真が証拠。すべての窓の明かりがどのように消されていたことだろう。しかも唯一壁から漏れる光は大学入試のためではなかった。
3
この一巻の主題は汚れと乱れをとりのぞくことだ。男たちの唾液は汚水とともに溝の奥にながれこんでいった。そこは観光地で小さな町の名所旧跡だ。おや、望遠レンズの拡大された視野のなかでぼんやりと沈んだ町はまだ眠っていない。低い木造の家がどれだけキーキーと音を発していたことだろう。脂粉に笑窪をみせていた女が硬い中国語で客の母親を罵り、ベルトをしめてから、すぐに台湾語に言い換えた。
俺のモデルはあらゆるところで横たわりポーズをきめる。カチャリ、カチャリ、俺は写真をを撮りまくる。公務や私事、商売や学校経営の後に彼らがどれだけ歴史的なシーンを残してきたことだろう。人生は夢のよう、夢は芝居のごとく、朦朧とした夜はぴったりの舞台だったとどれだけ彼らが話していたことだろう。
俺は最良の夫をみかけた。かれらは他人の妻が夫を助けて子供をしつけるのを助けてる。テレビの最近のニュースでは、ある種の慈善運動がにわかに展開しているそうだ。チューインガム売り、愛国宝くじ売り、肉ちまき売り、四神湯売りなど。頭上の月が路上の売り声を照らすのがみえる。しかもプレーボーイの連中の酒の香りや笑い声が俺の頭のなかでどれだけ開花して実をつけたことだろう。
4
月が上る、上る。俺の視線も高く伸びる。高層ビルを過ぎて、幾重もの山脈を越えて、レンズの視界はさらに深く遠く伸びる。暗部から更に暗部に入り込む。あゝ、青くくすんだ樹林の枝や葉、花や草の一本一本が見え始める。艶やかな光沢。あゝ俺のカラーフィルムの入ったカメラがあの澄んで清らかな風景のなかではいかに機能しなかったことか。俺のぐるぐる回る目がいかに静止したか。眠らない月のように醒めていた。
白い月、白い月、黒色の大地!俺はどれだけプレイボーイのために写真を撮りまくったことか。しかし、現像して出てきたのは、一枚のモノクロの風景だけだった。
風が吹いていた。水晶のような露が一、二滴おちた……
魔術師の妻の恋人
この朝食の風景をどのように説明したらいいだろう
(1976)→目次 →
中文原詩
冷え込むので眠らないとだめだ
あの話はよくわからなかった。俺たちの両親が殺人を犯したことや、いろいろな遺伝理論のことだ。通り過ぎた時、ドアは開いていて、床には切られたリボンが赤く散らばっていた。開幕式を主催したのが誰かは知らねえな。通った道はどんどん狭くなっていき、しかも暗くなっていた。正直なところ、あまりに暗かったので、俺たちの両眼はまるで白昼に点っている二本の電灯のように何の役にも立たない。ただ手探りで行くだけだったが、水の滴るような音が聞こえた。喉が渇いていた。遮ったのはやはりドアだ。鍵は俺たちが持っている――と仲間の一人が言った。ドアが開きあいつが言ったんだぜ――
「俺たちは人をやっちまった!」
旦那よ、俺たちは本当に無実だ。暗い暗いまったくの暗黒の中にいる俺たち。一度鋏のような音が聞こえた以外に何も知らねえ。
時間をヒョウの斑点のように固定させよう
昨夜のコウモリのような残酷さ
連続する地震に怯える都市で
連続する地震に怯える都市で、千匹の心の曲がった
ジャッカルが自分の子供たちに言うのを聞いた
「母さん、間違ってた」
判事がすすり泣き
牧師が懺悔しているのを聞いた
手錠が新聞紙から飛び出し黒板が肥だめに落ちたと聞いた
文人が鋤を置き、農民が眼鏡を外し
太った商人が次々とクリームと膏薬の衣装をつぎつぎと脱いでいると聞いた
連続する地震に怯える都市で
ポン引きが跪いて娘たちにヴァギナを返しているのを見た
一月二十八日の圓醮で見た事
台湾ドル二億元、
四千匹の大ブタ、
四十六基の牌楼(パイロウ)、
二十三基の祈祷壇、
三昼夜の菜食斎戒、
鶏、アヒル、魚をさばく包丁が捧げられた。
遠くからは五万の親類縁者、
十一人の当地の乞食。
訳注:「圓醮」は道教の儀礼で、新しく廟が完成したときに「建醮」之儀礼があり、改めて修造があったときは「圓醮」が行われる。
遠い山がますます遠ざかる
午後の風とアンテナの間
世間の暮色と汚濁の中で
家、車、縄、ナイフ あらゆる種類の
規則的、あるいは不規則な積木でない物の向こう側で――
遠い山は 遠い山に向かって話しかけている
かつては話さずにいた沈黙の事を君に教えている。
君が恋をしている時、遠い山は
一晩の間にまた近くなった
黄昏の鳥の群れの中に銃声が消えていった
失跡したの父の靴
失跡したの息子の靴
毎朝の一杯の粥に戻ってくる足音
毎晩の洗面水に戻ってくる足音
失跡したの母の黒髪
失跡したの娘の黒髪
異族の統治の下で異族に反抗し
祖国の懐の中で祖国に暴行される
ススキ。野アザミ。荒野。叫び
失跡した秋の日めくりカレンダー
失跡した春の日めくりカレンダー
彼らは文法を任意に変える司法者
単数であるのに複数の形式に慣れている
目的語なのに主語の位置になっている
若い時は未来形を望み
年をとると過去形にはまっている
翻訳の必要もなく
変化を拒否する
固定された句型
固定された句型
固定された句型
唯一の他動詞は「鎮圧する」だ
母の言いつけでネギを買いにいった
南京街、上海街を過ぎ
(今になって
思うと妙な名前だ)中正路に来て
台湾語で八百屋のオバサンに
「ネギを買いたいんだ!」と言うと
彼女が泥の匂いがまだあるネギを渡してくれる
帰宅するとカゴに入ったキヌサヤの音が聞こえる
母には客家(ハッカ)語でネギを買って来たことを伝える
朝の味噌汁を母乳にしゃぶりつくときのように呑む
「ミソシル」はあたりまえのように母語だと思っていた
毎晩、パン屋で買ってきて食べていた「パン」が
ポルトガル語の発音だとは知らなかった
卵焼きを入れた弁当をカバンに放り込み
授業が終わるごとに毎回隠れて食べていた
先生から音楽を学び国語を習った
大陸に反撃、反撃、反撃と教えてくれた
先生は算数も教えてくれた
「一枚の国旗に三種の色がある。三枚の国旗なら
何種の色があるか?」
クラスの級長は九種類といい、副級長は三種類と言った
弁当の中のネギは一種類だと言った
つまり、ネギによると
土のなかであろうと市場にあろうと、菜脯蛋(ツァイポータン)の中にあろうと
俺はネギ
台湾のネギだからだ
俺はネギの匂いの残った空の弁当箱をもっていろんなところを旅行した
市場のすべての喧騒が弁当箱の中で熱心に俺に向かって呼びかけてくる
おれはヤルツァンポ河、バヤンカラ山
(今思うとそれほど変な名前じゃない)
そしてパミール高原を越えて
ネギ山脈に到達した
俺が台湾式の中国語で「ネギを買いたいんだ!」と言うと
巨大なネギ山脈は何の返事もしない
ネギ山脈にはネギは一つもなかった
突然自分の青春を俺は思い出していた
母はまだ家の入り口で、俺を待っている
一九八九
1
小雨の降る肌寒い春の一日、君の沈黙の意味を考えている
その広大さが間近にせまり
千尋の山壁が一粒の砂のように心に横たわっている
雲と霧がそっと推すと
湿潤のなかで、豊かな緑がぐるぐると回り静止する
そのやさしさはため息のように
そっと落ちていく一枚の葉、のんびりと飛翔する鳥
滑りやすい急な山頂や絶壁で
開花する樹木のよう
その奥深さが苦悩と狂喜を取り込んでくれる
緑滴る雨林
深く藍い星空のような荘厳さで
その激しさは去年の夏の兎や鳥のようだ
滂沱とした山津波を抜け
早朝の陽光のなかを奔っていた
おどろいて目がさめた昨夜の夢で
時間に捻じ曲げられ
凝固した歴史の激情を見るようだ
重層して曲がりくねった岩の上で
石くれが積み重なった谷底で
その刻まれた線条は雲や水のように
いつまでも見つめあう山のあいだ
いつまでも照らしあう天と地のあいだにある
しかし君はただ無言で私をみつめている
山道を歩いていると
みつめられている私
何度も君の前で倒れ
過去何千、何百年もの間 君の腕の中に
倒れこみ、流血し、死んでいった者たちのように
2
幾度その懐の中で子供たちが転倒し傷を負い
そしてまた起ち上がったことだろう
腐葉があまねく堆積した密林の中を進んだ彼らは
幾度道に迷ったことだろう
青春の飛沫が滝のように飛び散り
渓流とともに大海に流れ込むのを君は見ていた
夢幻の中で浮雲がゆっくりと
更に巨大な夢幻の中に消えていくのを見た
彼らは静かに座り沈思する岩を探しにいった
鐘の音とともに黄昏のなかに入っていった者たちは
暴風雨のなかで成長した
彼らは断裂した崖に立ち
水滴が石を貫いていくのを見ていた
逝く者は斯くの如きか 昼夜を舎かずと見ていた
逝く者は斯くの如きか 昼夜を舎かず
紅毛のスペイン人が峡谷に来て、砂金を採るのを君は許した
紅毛のオランダ人が峡谷に来て、砂金を採るのを君は許した
満州人に追い払われて渡海してきた中国人がその渓谷で砂金を採るのを君は許した
満州人を追い払った日本人がその渓谷で砂金を採るのも許した
君の渓谷に至り砦を築き大砲を据えて、人を殺めた
君の山腹に至り砦を築き大砲を据えて、人を殺めた
君の渓流に至り砦を築き大砲を据えて、人を殺めた
君はやってきた漢人が刀をふりあげてこういうのを聞いた――
「降参しろ 太魯閣蕃!」
君はやってきた日本人が銃を向けてこういうのを聞いた――
「降参しろ 太魯閣蕃!」
君は紋身の彼らが次第に深山から山麓へ
山麓から平原に移っていくのを見た
君は彼らが徐々に自分たちの家を離れ
押し黙っていくのを見た
3
彼らが次第に自分たちの家を離れ
その傍らに来るのを君は見た
同じ中国人に駆逐され海を渡ってきた中国人たち
彼らは戦いで残った爆薬、郷愁、ブルドーザーで
君の入り組んだ骨格のあいだを掘削して新しい夢を開こうとした
或る者は自分が掘ったトンネルのなかで、行方不明となり
或る者は落石とともに永遠の深淵の中に落ち
或る者は片手片足を失い
風のなかで剛毅な樹木のように立っていた
或る者は古い長衣を脱ぎ鋤を手にとり
新しく開通した道の脇に新しい表札を打ち付けた
彼らは異郷で出会った女に
接ぎ木、混血、繁殖する事を学んだ
次々と植えられていったカリフォルニアプラム、キャベツ、二十世紀梨のように
彼らは自分たちを君の体の中に植えていった
彼らは新しく開いた道に新しい地名を掲げた
春になると
その偉大な領袖は勲章を胸にして
天祥と呼ばれる地に来て散っていった梅の花を観賞した
温泉の小径に御座所を設け
熱く「正気の歌」を朗誦した。
また遥かな向こうの朦朧とした中国の風景でもない
かの有名な大千居士は、震える手で
山の雲霧よりもおぼろげな美しい髭に触れながら
半ば抽象的な溌墨(はつぼく)で
君のその顔に郷愁をたっぷりと描いた
彼らは君の山壁に長江万里図を描いた
しかし君は中国の山水でもなく山水画の中の山水でもない
君の額に懸かっているのは李唐の万壑松風図(ばんがくしょうふうず)ではない
范寬の谿山行旅図(けいざんこうりょず)でもない
冷房の効いた観光バスに座っている人々にとって
君は美しい風景
(ちょうど 四百年前に東の海上を船で過ぎた時に
奇妙なトーンで「フォルモサ」と叫んだポルトガル人のようだ)
君は美しいが、フォルモサという名前ではない
君は持って歩いたり引っ掛けておいたり
観賞するための風景でもない
君は生活であり、いのちなのだ
その血の流れとともに律動し、呼吸する人々にとって
君は偉大な真実の存在である
4
私は霧深き黎明を探している
私はその渓谷の上を飛んだ最初の黒尾長雉を探している
私は隙間のなかで互いに伺っているインディゴとトウダイグサを探している
私は海と旭日を高く称賛している最初の舌を探している
私はムササビを追いかけている落日の赤いひざ小僧を探している
私は温度によって色を変える樹木のカレンダーを探している
私は風の部落を探している
私は火の祭典を探している
私は弓とともに共鳴するイノシシの足音を探している
私は洪水を枕に寝ている夢の竹小屋を探している
私は建築技術を探している
私は航海術を探している
私は喪服をきて泣いている星を探している
私は血の夜と渓谷を鉤のように引っ掛けている山の月を探している
私はケーブルで縛り千丈の崖から垂れ下がって山とともに破裂しようとしている指を探している
私は壁を突き抜ける光を探している
私は船首に衝突した頭部を探している
私は異郷に埋められた心を探している
私は吊橋を探している 靴紐のない歌かもしれない
私は反響する洞穴を探している 豊富な意味をもった母音と子音の一群
タンガロ、バンキアム、タビト
タンロンガン、ロサオ、タラワン
タポコ、スメグ、ロポカ
カバヤン、バラナオ、ボトノフ
カモヘル、カラギ、ポカパラス
カラパオ、タブラ、ラパホ
カシア、ポシヤ、タシル
セヘンガン、シダガン、シカラハン
カオワン、トモワン、ボロワン
フトダン、パチガン、サンリガン
タロコ、ダガラン、ダギアコ
サカダン、パラタン、ソワサロ
ブナエン、ボロリン、タボカエン
ウワイ、ドヨン、バタカン
ダガリ、ホホス、ワヘリ
スカイ、ボカスイ、モゴイシ (原注)
5
私は反響する洞穴を探している
小雨の降る肌寒い春の一日この地上で
ささやかに住んでいることの隠れた意味を考えている
秋になると、彼らは連れたって渓谷の山道を進む
木々の間、渓流の傍で待っていて忽然と現れるのは
ひょっとしたら一群の猿たちだ
あるいは荒れ果てた耕地の傍らに
静かに立っている二軒の主のいない竹組みの小屋かもしれない
さらに遠い向こうの古道で蔓草を越えていった彼らは
日本軍が待ち伏せする壕に出会ったことだろう
さらにその向こうでは原住民の茅葺の小屋があったはずだ
そして考古学の隊員が
最近残していった陶片が二、三個ある
私たちは迴頭灣を遠回りして
九株の老梅のある吊り橋についた
日本の警官が駐在していた場所で現代の郵便配達員が
たのしそうに郵便物を受取口に投げ入れている
二時間歩いて吊り橋に着いた蓮花池の老兵たちが
渡ってきて郵便物を受け取るのだろう
あるいは運搬車に揺られて
下りてきた梅村の女たちかもしれない
君たちが揺られながら黄昏の村に入ってくると
村の逞しい少年が興奮して駆け寄ってくる
その敏捷な姿は彼の祖父が五十年前に
狩で追いかけた山鹿を彷彿とさせるものだ
「パパがお茶をいれて待ってるよ!」
竹村は彼らの故郷の名前だ
彼の父が若い時に読んでいた唐詩の詩句のように
五十年前にここで耕し、狩をしていたタイヤル族のように
彼らは海を越えてこの土地の主人となり
果樹を植えて、子供を育ててきた
6
小雨の降る肌寒い春の一日、この地上でささやかに住んでいることの
隠れた意味を考えている
鐘の音が続き
群山の向こうに更なる群山
石段を登っていくと夕暮の光が傾いて近づく
山頂の禅寺の梵唱が
反復する波浪のようであり
君の広大な存在にも似ている
その低く続く朗唱は単純でありながら、なんと複雑なことだろう
微かなものも広大なものも包み込み
苦悩しているものも喜んでいるものも包み込み
奇異なものを包み込み
殘欠したものを包み込み
孤立して寂しそうなものを包み込み
怨みを包み込み
そっと目を伏せた慈悲深い菩薩のように
君もまたそっと黙している観音さまだ
天地がひらけ、樹木の死、虫たちの生をこだわりなく見ている
山水がひびき、日月ははるか
いのちが互いに呼ぶ声を聞いた気がする
それが透明な山水の景色を貫き
永遠に反響する洞穴を貫き
この夜に到達するだろう
千尋の山壁が一粒の砂のように心に横たわっている
: これらは太魯閣国家公園区内の古名。タイヤル語でそれぞれ意味をもっている。 タビトは今の天祥で、元の意味は「棕櫚の木」。
ロサオは「沼沢」。タボカエンは「種を蒔く」。 パチガンの元の意味は「必ず通るべき道」。
ボロワンは「こだま」という意味である。
もちろんそれは書物である
形式はでたらめだが確かに辞書だ
四色のカード、借用書
逮捕状、結婚証書の上に印刷されている
こちらの頁は時間に指名手配されている私の父
彼の母は海で泳ぎ、砂の上を這うカニなので
弟たちの名前は皆水で出来ている
彼女の夫はゴンドラで山から降りてきて
山の精力と火の粗暴さをもっている 圧倒し、殴り、傷つける
夜半に彼が酔っ払うと、残された妻は子供を抱きながら体の傷痕を洗うことになる
彼は自分の名前に父と同じ火が入っていることを怨んでいる
ちょうど双子の弟の一人を夭折させ、もう一人の体に障害を残した
肺炎とひどい潰瘍を彼が怨んでいるように
こちらの頁は病を忌んで医者にかからなかった家族の歴史である――
不妊症だった大おば、失踪した母方の祖父
私の叔父は二十年の同居の後、彼の父が私の父方の祖父だったことを知った
私の四番目の叔父と結婚した叔母兼従姉は三人の知能障害の子供を生んだ
子供を作ることは知っていたが育てることも、教育することも知らなかった私の祖父……
こちらの頁は難しくてもう使われないような言葉の索引だ――
溺れてしまった伯父、自ら囚人となった父の従兄弟、
若いときに家出して、老いると髪を落として尼になった私の父方の叔母
こちらの頁は注音符号の索引だ――
讀:勉学数年の後、汚職背任を犯した私の父
毒:人生の大半を賭事に費して,薬物に溺れ、売人だった私の父
彼らは私のトランクの中にあっていつも旅行している
活字ケースがひっくり返り、再び並べられる
私の兄弟になったり 私自身になる
空白の所は母親たちの涙
愛情、悲しみ、沈黙の抱擁
焦燥した火を抱擁し
戻ってきた波を抱擁する
時の砂浜でしだいに白くなる海のページを
一回また一回と読んでいる
私たちがむせび泣くのを聞き
私たちがささやくのを聞き
私たちが壁紙を引き裂くのを聞いている
去っていく身近な人の声を焦燥して追いかけるのを――
大きな息遣い、鼾、咳
だが、私たちには何も聞こえない
壁に耳あり
壁は無口な記録者だ
なくなった帽子、鍵、コートの記念に
私たちは釘を残しておく
曲折した愛情、噂、家庭のもめ事を収めておく為に
私たちはそこにすき間を作る
そこに掛かっている時計
そこに掛かっている鑑
そこに掛かっている失われた日々の影
しぼんだ夢のリップマーク
私たちはそこに厚さを加える
私たちはそこに重さを加える
私たちはそこに静寂を加える
壁に耳あり
私たちの脆弱さに依拠して大きくなった存在
私たちの心も
合法的かつ健康的に淫らになってきた
毎日、私たちの湯飲みから流れでる
ひとすじの影の河川
リップマークがまだらに残る所は
何度も消えていく
河の両岸
部屋に満ちる茶の香りが眠りを誘う
私たちはたぶん、時間を呑んでいる
あるいは自分たち自身
あるいは湯飲みの中に落ちた父母
私たちは杯のよどんだ底から
去年の風景をとりだす
山いちめんのジャスミン
開いては散ってゆく花びら
私たちは冷たい河の水が再び沸き立ち
そっと降りてくる闇を温かく融かすのを見る
そして ランタンのように光る杯の前で
茶をのむ 夢のように
高めの岸辺にすわり
茶が河の流れに化すのを待ち
樹木が開花して実を結ぶのを待っている
わたしたちの父母のように
一粒の果実
ひとひらの椿の花に
化身して影の河川に流れ込むまで
あの夜、群集が去った後の橋のたもとで
彼が私に言った。「若者よ、あらゆる魔術は本当なのだ……」
だからあの流れ雲も彼の胸のハンカチーフから出てきたものだ
あの疾走する車も、静止したままの家もだ
彼は秘密の河をふり動かした
涙と汗の痕の付いた白いハンカチは折り畳むと夢の中のハトのようで
開くと世界地図のようだ
彼は地面にハンカチを拡げて、人々が皆それぞれ
座るまで何度も繰り返した
「魔術は愛なのです
あらゆるはかなく美しい物 、
所有しようとしてもできない物への愛。」
彼はハンカチから一束のバラをとりだし
血管のようなチューブで自分と花とを連結させた
彼は私たちにナイフでその心臓を刺すように指示した
「私の心は愛にみちています
ナイフで刺すと私の血が
あのバラから吹き出るでしょう。」
驚いた私たちは花びらのように飛び散る血を避けようとしたが
それはジャムのように甘いものだった
もうひとつのハンカチから彼は一組のポーカーカードを取り出すと
私たちが全員その中に入っているという
彼はこちらに一枚ずつ抜かせて番号を記憶させてから
元に戻させた。その番号が私たちの名前で
永遠という時間が私たちに与えた身分証だという
彼は熟練した技でカードをシャッフルし、すべてのカードが
同じ番号になるまで続けた
私たちはどれが自分のカードなのか
わからなくなり、互いに驚いて見合わせた
彼は変動していく事物を好む
市全体の噴水池を袖の中に隠して
私たちの喜怒哀楽と混ぜ合わせ
突如黒い酢を吹き出させ
そしてまた突如赤いワインを吹き出させた
彼は太陽の下では何も目新しい物がないことを知っていて
月明りの下で演じることにしている
彼の喉の奥に飲み込まれた炎や利剣は
(彼が新聞を拡げながら、宣言したのだが)結局
遠方の驚くべき殺人、虐殺、宗教革命になる
彼は私たちがこれらを子細に見るように望んでいる
なぜなら、人生は彼によると一場の大魔術だからだ
「あなたたちが信じさえすればハンカチでも空飛ぶ絨毯になるのですよ!」
ただそのうちのいくつかの変化はあまりにも速く
私たちにはその変わりようの区別がつかない
またいくつかの変化はあまりにも緩慢としていて
一生かかってやっとその妙味がわかるほどだ
海原は桑畑になり、少女は
老婆になるという
しかし愛はいかにして死者の霊魂を醒まさせ、死者の灰は
どのように新しい火となるのだろう?
あの夜の河辺の空き地では足元のハンカチが
私たちを載せて遠くに飛んでいくとは、誰も信じなかった
しかし魔術師はいつものようにハンカチを使いながら
秘密の河流が彼の眼には流れていた
1
私たちが掛けているもの
涙
星
虹
鳥
時間の深淵の上で
うたう
うたう
かなしみの空中庭園
2
私たちは地球儀の上を駆けている
私は古びたアジアに
君は遠いヨーロッパ
誰かが地球をまわすと
私たちはつまづいて
メランコリーの海にともに落ちていく
3
苦悩しながらも清らかに澄んだ海
ひゅう
ひゅう
ひゅう
愛
4
力と光にあふれた波浪のように
上昇し
下降する
何度もぐるりともどってくる秘密のトンネルのように
渓谷から星へ
夢から 夢へ
5
鳥は星形の庭に降りる
音楽が音楽に流れ込む
西方
東方
協和
不協和
原注:
これらの詩が基づいているのは私が最近聞いた音楽である。特にオリヴィエ•メシアン(Olivier
Messiaen, 1908-1992)、L.
ノーノ(Luigi Nono,
1924-1990)、
A. ヴェーベルン(Anton Webern, 1883-1945)、武満徹 (1930-1995)である。武満によると、「音樂の喜びは基本的に悲しみと不可分である。
悲しみとは生存することの悲しみである。音楽を創造することの純粋な喜びを感受するほど、その悲しみは深くなっていく。」
縮尺四千万分の一の世界地図の上で
我々の島は青い制服にゆるく掛けられた
黄色いひずんだ釦
私の存在はいまや蜘蛛の糸より細い
ひとすじの透明な糸、海に面した私の窓を抜けて
精一杯に島と大海を縫い付けている
孤独な日々の辺縁で
新年と旧年が入れ替わる間隙で
思いは鏡の書物のように時の波紋を
冷たく凝結させる
読むうちにぼんやりした過去の
一頁ずつが鏡の上にさっと光るのが見える
もうひとつの秘密の釦――
見えない録音機のように君の胸の前に付いていて
君と人類の記憶を何度も
収録し再生している
愛と恨み、夢と真実、苦難と喜びが
混ざった録音テープ
今、君に聞こえるのは
世界の音
君自身とすべての死者、生者の
心音。もし心から呼べば
あらゆる死者と生者は
君と明快に話すことだろう
島の辺縁、眠りと
覚醒の境界で
私の手は針のような自分の存在を握り止めている
島の人々の手で丸く磨かれた黄色い釦を通って
それは青い制服の後の
地球の心臓にしっかりと刺しこまれている
(1993)→目次
→中文原詩
現代俳句集
(選二十五)
1
男はふたつのビルの間から
抜けてきた月光で
リモコンを洗った
6
急速に滑り落ちるグリッサンド――
誰かが私の子供時代の窓に
はしごをかけた
14
待っている 渇望しているんだ 君に――
夜のからっぽの碗のなかで
サイコロが七番を出そうとしている
16
秋風の中にひとり――
いや 秋風の中に見える誰かが言ってる
秋風の中に誰かがいると
18
寂とした冬の日の重大
事件――耳垢が
机の上に落ちた
21
涙は真珠のよう――いや涙は
銀のコインのよう、いや涙は
綻びて落ちたあと、縫い戻されるべき釦のよう
26
君が注いだ茶を湯呑みで飲み
君の指の間から流れ出た
春の寒気を湯呑みで飲む
29
死を敬してのパレード――
散歩する靴仕事する靴眠る靴
舞踏する靴……
30
街路のそれぞれはチューインガム
何度も咀嚼すればいい だが
一度に食べてはだめだ
35
孤峰をつなぐのは
寂寞 そして
黒鳥と白鳥のまなざし
38
鉄のように冷える寒さの夜――
互いにぶつかり火をおこす
肉体のパーカッション
46
静かなる囚人――我らは言葉で
透明な壁を砕くが、壊れた沈黙をひとつずつ
呼吸でとりもどさせられるのだ
51
雲霧の子供の九九――
山掛ける山は樹木、山掛ける樹木は
私、山掛ける私は虚無……
55
切手はここに貼ってください――
私が貼りたいのは
君が好きなケーキ あるいは唇
58
落胆の籠を開けると―
空虚が飛び出し
虚空が飛び込む
62
「草と鉄錆ではどちらが速く走れるかね?」
春の雨のあと、廃線になった鉄道の傍らで
誰かが私に聞いた
63
世界記録を破りつづけたあと
我らの孤独な砲丸投げの選手は
自分の頭を一気にほうりなげた
66
体が白いのでホクロが
ひとつの島になった――なつかしい
君の服の下でかがやく大海原
76
四季をとおしてサンダル――見なかったかね
黒板、灰燼の上を踏んだあと、私の両足が
書いた自由詩を?
78
彼らは夢を薄いキャッシュカードのようにする――
やりくりがつかなくなった夜に
パスワードを持って金を引き出す
86
私は人
私はほの暗い天地のなかの
使い捨てライター
87
ザクロが雨の中で
濡れそぼった緑になり
話がある様子
90
激しい愛がもたらした愉快な死傷――
私は五箱のグレープフルーツ分の汗を流し
君は髪の毛二十一本が切れた
91
君が残していった買い物袋――
私はそこに新作の俳句、レモンケーキ
雨上がりの山の景色を入れた
97
婚姻物語:ひとさおのタンス分の寂寞に
ひとさおのタンス分の寂寞を足すと
ひとさおのタンス分の寂寞になった
(1993)→目次
→中文原詩
それから知ることになった
一杯の茶のひとときを
混んだ喧騒のなかの駅ビルで
約束の時間に遅れている人が
冬のひどい寒さのなかであらわれるのを待つ
ていねいにささげるように持ってこられた
熱い茶に
そっと砂糖とミルクを入れ
軽くまぜて
軽くすする
旅行バッグから
小型の一茶俳句集を開く――
「露の世の露の中にて
けんくわ哉」
喧騒とした駅は露のなかの
露、飲むごとに
深みの増すミルクティーに滴ちていく
一杯の茶
熱く 暖かく そして冷めていく
いくらかの気がかりは
詩から夢に、そして人生に
古代ならば――
章回小説か武俠小說の
世界――
それは一杯の茶のひととき
俠客が抜刀して襲いくる悪者をうちまかす
英雄は魂を抜かれ佳人の帳の前で取り乱す
だが現代の時間は速い
半分のむ間に
君はアイスミルクティーをのみおわる
一杯の茶
近くから遠くへそして虚無へ
ずっと待っていた人がやっと現れ
もう一杯いかがとたずねる
(1993)→目次
→中文原詩
野球場の右の外野に私は今立っている。花崗山公園
この少女のようにしとやかな小都市のわずかに
隆起した胸の部分。大阪商船株式会社の貴州丸は
海上からゆっくりと新しく築かれた港に入ってきた
二人の高等女学校の学生が校歌を歌いながら
昭和記念館の傍らの公会堂から出てきた
「お早う!」彼女達に挨拶をするのは、花蓮校中学の
英語教師で学級主任でもある土田一雄先生。
「お早う!」彼はテニスコートの傍らの木陰に自転車
をとめる。(彼は中学校校友会のテニス部長でもある)
表忠碑の石段を上がっていくと、遠く鏡のように煌く
太平洋が眺められる。お国ははるか遠くの福島、
そこでも同じように鏡のようにきらめく大海。あの海の青と
空の青。旧知の間柄のようだ。だが彼は頭上の浮雲が
何処に行くのか知りようもない。彼が住んでいる海に
面した中学校宿舎が十年後に青島からきた綦先生の
家になることももちろん知らない。もうひとつ知らないのは
地理を教える綦先生は担任として十五年間教えてから
一人の学生に出会ったことだ
同じように英語の教師になり。詩を書くのが好きで
音楽を愛し、時には花崗山に登って海を見るのが
好きな生徒だった
小さな都市の僅かに隆起した胸のあたりに私は今
立っている。まだ乳臭い尋常高等小学校の生徒が
三々五々、麓の校門の外で道端の落ち葉をかき集めている
彼らは知っている。花崗山の周囲を巡り、この朝日通りと
交わっているのは海辺からずっと伸びている入船通りで
入船通りに繋がっているのが最も賑やかな春日通り
-春の日や水さへあれば暮残り
彼らは春の水辺に暮色が残っていることを知らない
春日通りを出ると、アミ族の蕃社へ向かう高砂通りだと
知っている。そして筑紫橋のある筑紫橋通り。毎朝
吉野の移民村の内地少女が来る。麦藁帽子をかぶり
牛車をひきながら市街にやって来て野菜を売っている
彼らは知っている。吉野一号米は陛下の一番の好みである事を
高砂通りと筑紫橋通りと駅舎のある黒金通りは明らかに
この発育途中の小さな町の骨盤だということを知っている
彼らの教師は生徒達にこの花蓮港街という小さな町が
これから市に昇格することを告げている。
だが、年明けに起こった大火でいつも映画や劇を見るために
通っていた筑紫館が焼失することはまだ知らされていない
この色彩豊かな三つの通りが彼らが去ってからのある日
整形されて中華路、中正路、中山路の鉄の三角形に
なることは告げられていない
時の大通りの曲がり角に私は今立っている
過去と現在と未来の音が波浪のように畳み掛けて
押し寄せ、そっとのばされた港の湾曲した上肢で止まる
少女のようにしとやかな小都市の優雅にはにかんだ
最初の抱擁。鏡のような海面は台風が来ると大波となり
怒涛に変わり、また鏡のような海面にもどる
地震は津波の噂をもたらし、感傷的で多感な酒客と
詩人をつれてきた。「江山楼」は稲住通り
「君乃家」は福住通り、しかし心配してふさぎこんでは
いない。ほら見るがいい。サバト渓がどのようにして豊富な
薪がとれる七脚川山東麓から水を集め東南に向かい
谷から平原に流れ、幅を広げて沖積扇となり、網のように
流れて二つに分かれ米崙山西麓の南端で再び合流する
そして花蓮港街を抜けて海に流れこむ。ほら見るがいい
大空がどのようにして電線を生みだし、電線からどのようにして
電信柱が生まれ、電信柱からどのようにして電流と
音波が生み出されるかを。遠く近く想い浮かべるこの地、
この時間にそれらを会合させよう――産婆牧野茂電話四四六番
料理屋東家電話一五四番、旅館常盤館電話二四O、五二九番
惠比須屋電話三三三番(市場內出張所三五四番)
花蓮港木材株式會社電話一六、一四五、二OO番
東海自動車運輸株氏會社電話四二五番……
きらめく大海の深い位置、鏡の底にいる
座礁する歴史、溺死した伝説
逆さまに作られた迷宮、反響から現れた真実
しとやかな少女のような小都市がどのように
その苦悩、欲望、誇りを君に伝えるのだろう
次第に成長し若き妻になり、異なった唇をうけいれ
異なった血をどのように包み込んだのか
どのように無数の閲覧者がいながら常に一冊の完全に
新しい鏡の書であったのか? このしとやかな少女のような
小都市が必要なのは暖かく、剛毅な灯台である
きらめく鏡のような海面、記憶がよみがえる位置で勃起する灯台
原注
:花蓮港街は現在の花蓮市で、明治四十二年(一九O九年)日本人が花蓮港庁をおいた地である。当時は花蓮港区と呼ばれた。
小都市
彼らは此処に住んでいる。風が少し、雲が少し
一筋の通りがもう一筋と交わり、十字に交差している
街を通って、風に吹き飛ばされていった樹影を彼らは
拾ってくる。門柱の上に括られていて
磨き上げられたばかりだった心も一緒だ。十字と十字が
連結してチェック柄となり、ひとつひとつが
棋盤の上にあるようである
彼らは農作をして魚を取り猟をする。相三進五
馬2進4。炮六平三。車8進1
彼らが他の人々に会うと、布を抱いて糸を貿(か)い
投桃報李(とうとうほうり)のつきあいがある
吹き飛ばされた樹影のいくつかは他のいくつかの樹影と
親戚になる。いくつかは更に遠い池のなかに落ちて
死ぬ。一本の渓流が山の麓から出発して
棋盤を貫き草色の虫の鳴き声とともに、海に流れ込む
渓流と海の水がぶつかり螺旋となって
じっと黙って象棋を見ている彼らを驚かせる――あゝ
洄瀾(ホエラン)!
あゝ、洄瀾!かれらの名前だ。棋盤の外に溢れだす生命の波浪
低い時は光り輝き、最も高い位置で落下し砕けていく
循環して繰り返されるイメージ音楽
何度も刻まれるレコード盤のように
棋盤を回転させる。一筋の街ともう一筋の街が出会って
交叉して十字となる。彼らは街を通って地震で鍋の外に
放り出された魚を拾って帰る
門柱に釘付けにされた表札も一緒だ
十字と十字が連結してチェック柄になり
ひとつひとつが棋盤のうえにあるようである
彼らは散歩して茶を飲み、歯を抜き、愛を営む。包5進2
傌四退六。卒7進1。兵二平三
一筋の渓流が棋盤を過ぎて、奔流して海に入る
レコード針がレコードの上で溝に沿って演奏するように
あの時々出てくる雑音は風に吹き飛ばされていった樹影
他の何人かに拾われて来て彼らに返された
彼らは此処に住んでいる
(1995)→目次
→中文原詩
訳注:
[1] がそれぞれ、将棋の一種、象棋の手の動きを示す。
[2]
椅子の上で本を読み
机上で字を書く
床板の上で眠り
クローゼットの側で夢を見る
春には水を飲む
(コップはキッチンの棚)
夏には水を飲む
(コップはキッチンの棚)
秋には水を飲む
(コップはキッチンの棚)
冬には水を飲む
(コップはキッチンの棚)
窓を開けて本を読む
デスクライトを点けて字を書く
カーテンを引いて眠る
部屋の中で目が覚める
部屋の中には椅子
と椅子の夢
部屋の中には机
と机の夢
部屋の中には床板
と床板の夢
部屋の中にはクローゼット
とクローゼットの夢
私が聞く歌の中に
私が喋る話の中に
私が飲む水の中に
私が残す沈黙の中に
(1995)→目次
→中文原詩
フォルモサ•一六六一
神のお陰で、血と尿と大便はこの土地
に混ざっているが、私はずっと牛皮
の上に住んでいるのだと思っている。
十五匹の布で牛皮大の地を交換?
現地人は知らなかったのだろうか。牛皮を
細長く切れば、あらゆるところに存在する神の霊
のように大員島全体、フォルモサ全体を囲うこと
ができるのを。私は鹿肉の味が好きだ。
蔗糖、バナナが好きだ。東インド会社がオランダ
に運んだ生糸が好きだ。神の魂は生糸のように
なめらかで、神聖な清らかさをもっている。それ
は毎日少年学校で綴り方、書法、祈祷、教義問
答を学んでいたバクロアンとタボカンの少年を
照らした。おゝ 主よ。彼らの話すオランダ語は
鹿肉の匂いがするそうだ(私が説教しているとき
に、よく出てくるシディア語のようなものだ)おお
主よ、タリウで、私は既婚の女子と少女十五人
に神への祈り、ゴスペル、十戒、食前食後の祈
りを教えた。マタウで、私は既婚の若い男子と
未婚の男子七十二人に各種の祈り
教えの要点、読書を教えた。そして丁寧に教理
問答の大切さを教えて、その知識を
広げさせた。あゝ 知識は一枚の牛皮のようだ。
折りたたんで旅行バッグにいれて、ロッテルダム
からバタビアまで旅行して、バタビアから
この亜熱帯の小島に来て、広がって我が陛下
の田圃となる。神の国は二十五戈の帯に分けら
れ東西南北に広げると一甲となり三張犁、五張犁となる。
ゼーランジャ街、公秤所,税務署、劇場の間にそ
れは一枚の旗のようにはためいて、遥かに
プロビンシャ城 とともに微笑みあっているのが見える。
あゝ 知識は人に喜びをもたらす。すばらしい食
事のように、豊かな香料のように(ただ彼らが絹イ
ンゲンの煮方を知っていることだけを希望するの
だが)オレンジはタンジェリンより大きくて果肉は
酸味があり皮は苦い。しかし塩とオレンジを入れ
た夏の水はベッドの愉しみよりもいいことを彼らは
知らない。チロセンでは既婚の若い女性三十人
に各種の祈祷をさせ簡化要項をさせ、新港では
既婚の男女百二人に読み書きをさせた。(あゝ
あのローマ字で書いた土着語の聖書には欧州の
ジンジャーで料理した鹿肉の美味を感じる)ファ
ボラン語の伝道書, シディア語のマタイによる福
音書、文明と原始の婚姻。神の魂をフォルモサ
の肉へ あるいはフォルモサの鹿肉を私の胃袋、
脾臓へ入れ、我が血、尿、大便にして私の魂とし
よう。マサカリと大刀を帯びてジャンク船とサンパ
ンでやってきた中国の軍隊が更に大きな牛皮を
我々の上にかぶせようと企図しても、私はずっと
牛皮の上に我々が住んでいるのだと思っていた。
神はすでに私の血、尿、大便を土着の人々のも
のと混じらせ、この土地に文字のように焼き付け
ている。この新しいスペルの文字を包み込んだ
牛皮は断裁されて一枚一枚のページとなり、神
の魂のように広大な音と色とイメージと匂いが込
められた辞典になることを、私は望むばかりだ。
原注:バクロアン(Bakloan、目加溜湾)とタボカン(Tavocan、大目降)、タリウ(Dalivo、他里霧)はどれも平埔族の社名である。
シディア語、ファボラン語は皆、平埔族の言語。シディアは今のシラヤ。
ゼーランジャ街はオランダ時代(1624-1662)に、オランダ人が大員島(今の台南安平)に建設した街。
プロビンシャ城(今の台南赤崁楼もオランダ人によって建設された。当初、オランダ人は十五匹の布と交換に原住民から牛皮大の土地を手にいれる契約をした。
内容は「皮を剪って縷(ひも)とし、それで囲まれた内」とした。(「剪皮為縷,周囲里許」)(連橫:《臺湾通史》)。
戈はオランダ人の計量単位であり、一丈二尺五寸に等しい。四辺がそれぞれ二十五戈というのが、一甲であり、五甲は一張犁である。
台湾におけるオランダ宣教師の伝教についての描写は、〈台湾基督教教化関係史料〉
(《巴達維亞城日記》第三冊,村上直次郎日訳,程大学中訳,台北,1991)を参照した。
↑ 観覧 アニメーション〈 戦争交響曲〉
訳注:「兵」(bing)が負傷し足を亡くした「乒」(ping)や「乓」(pong)となる。「乒」と「乓」は衝突や銃声の音でもある。
消防隊長が夢で見たエジプトの風景写真
火
火火火
火火火火火
火火火火火火火
火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火火
孤独な昆虫学者の朝食用テーブルクロス
私たちの生活の片隅にたくさんの詩が宿っている
ただ戸政事務所に登録はしていないだろうし
区役所や派出所から表札用の番地をもらったわけでもない
路地から出ると 携帯を打ちながらジョギングしている選手に君はぶつかる
ばつが悪そうに笑うその顔 毎晩若い奥さんの為に
赤いスポーツカーを磨いている向かいの老医師を思い出す
もともと長い詩の ふたつの段落
物と物は互いに声が聞こえるが往来しているとは限らない
いくつかは浮かびあがって イメージとなりもう一方に好感を示す
音と匂いはしばしば先に気脈を通じ そっと消息を伝え合う
色彩ははにかみ屋の小さい姉妹たち 家でじっとしていないとだめだ
きれいなカーテン、シーツ、バスローブ、テーブルクロスで飾りたて ご主人の帰りを待って
明かりをつける。一篇の詩はまるで一軒の家のように甘いお荷物 けれど
愛と欲 苦しみと憂いを受け入れ いいものも悪いものも包み込む
縫ってもらうため コンドームをもらうために医院に行く必要もない
まあ自分たちの倫理、道徳、家族計画を持ってはいるが
家柄が釣り合っているかどうかは必ずしも問題ではない
水はミルクと溶け合い 火と交合することもできる
ーゲルは白斬鶏(バイザンジー)を食べるし
黒蝿は白馬非馬を論じられる
やわらかな凶暴さ 耳をつんざく静寂
不倫の恋は詩の特権
或る者は暗喩の陰影 あるいは象徴の樹林の中で生活して
或る者は陽光の中を登ってくる蜘蛛のように開けていて楽観的。また或る者は
風を食べ露を飲んで清談と野合を好み また或る者は
小部屋に分かれた君の脳の中に透明な紗のように散らばって
しばしば 夢や潜在意識をつむぐ機織(はたお)り機を動かしている
たくさんの詩は習慣を司る部屋に監禁されてるそうだ。君はドアを閉じ
句を求めてあちらこちらを探して必死で呼びかけ
電子ロバに騎乗してマウスを走らせ キーをたたいて捜索する
窓を開けると天地が広がり 彼らはそこにいる
雨上がりのアイリス
授業が終わって家に帰る一隊のカモメ
傾いた海の波紋
トマトと豆腐数片が入った鍋を温めている電子レンジ
豆が少し欲しい 君がスーパーに入ると
缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰
缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰
缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰
適当にひとつ手に取ってみる すると君は心がからっぽであることによって
それを探していたのだとわかるのだ。もともと欠けていることによって存在していたもの
缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰
缶詰缶詰缶詰缶詰 缶詰缶詰缶詰缶詰
缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰缶詰
柿がひとつ寂しそうにレジの上にあり 君が
賛嘆の声をあげる。レジの上に柿がひとつ
一行の字が一戸になる
日本か盛唐の絶句から移民してきたものだと君は考えざるを得ない
しかし 君はまったく気にしない。たとえそれが全部小さなショッピングバッグに
入ったとしても気にはしない
(2000)
→目次 →中文原詩
突然分かったのだが、この世界はもともと人々と神が合同で経営している小さなレンタルバイク屋なのだ。
荷物はこのうえなく重いが我らはそれぞれ空間も時間も占有しない軽量のバイク。我らの魂はそれぞれの
体に乗って、この世界のでこぼこな山河渓谷、高層ビル、田地、陰道、陽物、昼と夜を走り過ぎている。薄
い紗が軽くからだの表面の皮をかすめていくように、そよ風が水面をそっと掠めていくように、我らは軽薄に
股の下の世界に対して植物的、動物的、鉱物的、愛玩的、精神的、肉体的、宗教的、哲学的、厳密的、
趣味的、商業的、学術的、構造的、策略的、理論的、臨床的な「一次的」な騒動をおこす。こんにちは、
親愛なる気象たちよ。私は君達の厚い祝福と束縛を載せることができる。こんにちは、親愛なる先生方。
私は君達の厚い戒めと後悔を載せることができる。こんにちは、親愛なる祖母たちよ。私は君達の厚い纏
足の布と電話帳を載せることができる。こんにちは、親愛なる覗き屋の諸君。私は君達の厚い面の皮とまぶ
たを載せることができる。影を貫く地図では経度緯度はかくも重く、速度はかくも軽い。光を貫く地球儀では
海と空の寝台はかくも重く、青色はかくも軽い。次第に軽くなるエンジンの音の中に入ってくるのは次第に
軽くなる軽金属、軽工業、軽音楽、軽歌劇、軽文明、軽道徳、軽い死、軽い永劫……
私はねむりながら、自分がすでに寝ている事を知らない
私は生きてはいるが、人生が夢のようなものである事を知らない
私は目を閉じて地球の上を漫遊しているが、卵の殻の上を
歩いている事を知らない
周囲はつるつるの夢の断崖
私を誘い込んで骨身を削らせる
私は恋人のベッドの前に来て
歯ブラシを手に、歯磨きで彼の革靴をみがく
私たちの誓いの旅の準備をするのだ
彼は寝ていて、ふたりの夜がまだまだ長いことを知らない
私は恋仇の窓の前に行き
そのカーテンを閉じて、彼女のオンドリの
咽喉を掻き切り、彼女の目覚まし時計のぜんまいをねじ切る
彼女がずっと眼を覚まさず、永遠にお日さまを見ないことを願っている
生きていても、静かに生きていたくはない
眠るにしても、ここで寝たくはない
(2007)
→目次
→中文原詩
山はゆっくり
風もゆっくり
雲もやわらかくゆっくり
キツツキが字を打つのもゆっくり
パンがパンの木から落ちるのもゆっくり
海がティッシュペーパーを引き出すのはとても速い
汽車もゆっくり
新聞もゆっくり
銀行強盗の悪党が銃を抜くのもゆっくり
政党が交替するのもゆっくり
百貨店の開店もゆっくり
阿卿おばさんが窓を閉めずに入浴したニュースは速く伝わる
午後もゆっくり
光もゆっくり
哲学者が豆花を食べるのもゆっくり
雪とつながるのもゆっくり
夢が賞味期限になるのもゆっくり
快楽が分類されて回収されるのは速い
1
宇宙よ受け取れしか、わが一閃にして過ぎゆきし伝言、我が詩を
2
3
4
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6
7
8
9
黄粱(こうりょう)の一夢。飯炊き器の米の丁度炊きあがりし時、唐(から)の詩人より電話ありて、悲哀は公共財産権たりとぞいいける
10
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訳注: [1] 風が吹きさらす軒端。 |
花蓮がひらく詩の扉
『華麗島の辺縁 陳黎詩集』をめぐって
蜂飼耳
生きているあいだに知ることのできる事柄も範囲も、限られている。自分はこの世のほとんどのことを知らずに、生の時間を使い果たしてしまうのだろう。昨年十一月上旬、台湾の花蓮で開催された「太平洋詩歌祭」に招かれ、はじめて台湾を訪れた。そして、台湾についてあまりにも無知のまま過ごしてきたという事実と向き合うことになった。台湾に関するものを、もっと早くに、もっといろいろと読むべきだった。台湾は現在、国連に加盟しておらず、日本とは国交というかたちでの交流がない。だから、というわけではもちろんないが、自分にとってはこれまで、中国や韓国ほど身近に感じる機会がなかった。
台湾は、度重なる侵略や干渉を経験し、複雑な歴史を刻んできた。十六世紀にはポルトガル人に。十七世紀にはオランダ、スペイン人に。十八世紀には清朝に。そして日清戦争後は、日本人が宗主として五十一年にわたり領有した。戦後は国民党が外来政権を樹立。教育には北京語が使われ、公には台湾語や日本語の使用は禁止された。いまも年配の人たちは、子どものころに学校で覚えさせられた日本語を忘れずにいる。十四を数える先住民の人たちのなかでも、年配の人たちは、同様の理由で日本語を解する。ある部族の長老から、日本統治時代について、厳しい言葉を向けられ、答えに窮した。文字を通して知識として知っていることと、実際に面と向かって批判の言葉を受けることとのあいだには、愕然とするほどの差がある。
台北から海岸沿いに列車で東へ数時間のところに、花蓮はある。太平洋に面した港町。内陸へ進めば、太魯閣峡谷という深山の風景がひろがる。海にも山にも恵まれた土地だ。戦前の一時期は、人口の半分を日本人が占めていたこともあると聞いた。かつて日本人によって作られた建物や設備が、いまも点々と残されている。たとえば、かなりの広さをもつ酒造工場。現在は文化施設になっている。また、日本軍の将校招待所だった場所は、日本人の手によって植えられた松林がシンボルともなっているため「松園別館」とよばれ、イベント会場やギャラリーとなっていて、一般に開放されている(詩歌の朗読やシンポジウムを中心とするイベント「太平洋詩歌祭」はここでおこなわれている)。
この春に刊行された陳黎の『華麗島の辺縁 陳黎詩集』(上田哲二訳、思潮社)について書くにあたって、ここまでの前置きの長さが、長いか短いかはわからない。いずれにせよ、本書には、台湾の歴史、そこで使われてきた言葉の歴史のみならず、台湾の現代詩史までもが反映されている。陳黎は一九五四年、花蓮生まれ。台北の台湾師範大学を卒業後、故郷へもどり、中学で英語を教えながら詩を書きつづけてきた。「著者後記」にはこう記されている。「幼年、少年時代の私は学校では中国語(北京語)を話し、家では家族と台湾語(閩南語)を話し、父母の間ではしばしば日本語を使っていた」と。いくつもの味の層からできているケーキを、ぱくぱくと食べるように言葉を食べながら、著者の言葉と詩の世界は育ったのだ。
『華麗島の辺縁 陳黎詩集』は、陳黎のはじめての邦訳選詩集だ。目次を開くと、年代順に詩集のタイトルが並ぶ。一九七四年からはじまる。三十年以上の活動のなかから選んで構成された内容だから、という言葉では必ずしも覆いきれないほど、さまざまな作風の詩が収録されている。日本社会に暮らし、日本語で本書を読む読者にとって、本書をふらりと繙く読者にとって、それはいくつもの入口が用意されていることを意味するかもしれない。本書のカバーにも使用されている「兵」の字を風刺的に活用した作品「戦争交響曲」は、漢字文化圏に生まれた者にとっては視覚的に受け取ることのできる形象詩だ。だが、これは著者の作風のごく一部分を示すものに過ぎない。その作風を集約的に示す一例だという指摘が可能であるにしても。著者は、中国古典のほか、万葉集や王朝和歌、俳諧などにも深い興味を抱いている。また、台湾では、ネルーダをはじめとするラテンアメリカ詩の翻訳者としても知られる。言葉と交わる体験を滋養として、多様な表現の世界をひろげる。
「アニマルララバイ」は、こうはじまる。「時間をヒョウの斑点のように固定させよう/疲れた水鳥が水上をすべり流す涙は/そっと落ちていく矢のよう」。生きものたちのむせ返るような気息を編み上げる一編。著者が二十代のときの作品だ。三十代半ばのころに書かれた「太魯閣 一九八九」は、花蓮の太魯閣峡谷を人に見立て、「君」と呼びかけ、異民族による侵略の歴史と現在を描く。一九四〇年に花蓮に生まれた、台湾の戦後世代を代表する詩人の楊牧には、「ゼーランディア城」という詩がある。楊牧の詩集『カッコウアザミの歌』(上田哲二訳、思潮社、二〇〇六)に収録されているこの詩は、十七世紀にオランダによる台湾統治の中枢部となった砦、安平(いまの台南)のゼーランディア城を女性になぞらえて蹂躙の歴史を謳う。歴史と地理、その擬人化という方法自体は、一見素朴にも見える。けれど、暴力によって踏みにじられてきた土地に生をうけた詩人にとって、これは切実な声の器にほかならない。太魯閣を描いた詩のなかの「小雨の降る肌寒い春の一日、この地上でささやかに住んでいることの/隠れた意味を考えている」という言葉は、読後の胸にひろがる。
社会と歴史のなかに嵌めこまれる個人の生死を、古いアルバムをめくるように描く「家庭の旅」も心に残る。「花園、記憶の倉庫/字を知らない祖父が狭い部屋で花が開くのを待っている/日暮れになって彼は小さな明かりをつけた」。遠くも謳えば、近くも謳う。陳黎の詩は尺度を自在に変更する。ぱらぱらとめくっていくと、日本人女性たちの写真が並んだ口絵が入っていて、ぎょっとする。戦前の花蓮のバーやカフェで「女給」として働いていた女たちだ。「カフヱーギオン會館 幸子クン」「カフヱータイガー 真澄クン」。実際にその写真に記されている店名と人名を取りこんで書かれた詩のタイトルは「根雪」。また、先住民の歌や伝説になぞらえた詩の数々も興味深い。たとえば、「島の上で」という一編には「私は石の中から飛び出してきた/私は人、タウ/男である」とある。ヤミ族(タウ族)の創生神話「石生説」および「竹生説」を織りこんだ詩。花蓮には先住民の人々も暮らしていて、著者の詩にこれらの要素が出現する背景を想像することは難しくない。花蓮という町は、ルーツを異にする人々の集合体だ。
本書のなかでもっとも新しい時期の詩「海浜濤声」は、昭和十四年に花蓮で出版された『花蓮港俳句集』(渡邊みどり編)に収められた句を組みこんで書かれた作品。「松濤、螺旋状の記憶のおかげで/私達の夢のくず鉄と硬く凝結した生命は/風で伝わり、舌と頬と耳でともに味わえる果汁となる」。台湾という島に残された日本語の残響が、ここからは確かに聞こえてくる。「横の移植」(西洋の詩に学ぶこと)という言葉が主張された世代の後に登場した詩人の一人として、陳黎は、さまざまな言語や文化と柔軟な接触を重ね、いきいきした表現の世界を展開する。ときに荒削りにも見えるが、頑なではなく、おおらかな活力を宿す。日本語の「現代詩」の分解寸前まで先鋭化した感受性とはまたちがったものがここにはある。
訳者:
1954年大阪市生まれ。大阪大学博士(言語文化学)、米国ワシントン大学修士。
台湾文学、日本近代詩歌
専攻。